
成就院
(じょうじゅいん)
真言宗智山派
〒210-0837 川崎市川崎区渡田3-8-1
TEL:044-333-6622 FAX:044-366-0026
【寺院由来】
当山は「明王山聖無動寺成就院」と号し、『新篇武蔵風土記』『神霊新田大明神古略縁起』『新田明神古略縁起』『江戸名所図絵』にも記載される古刹です。もともと本堂には阿弥陀如来(芝 増上寺 安養院より勧請)を本尊としておまつりし、弘法大師の御手彫りである現本堂の本尊・不動明王立像と制吒迦、矜羯羅の二童子は不動堂におまつりしておりました。その不動明王の霊験はあらたかで、鎌倉入りを成就された新田義貞公の祈念佛として崇められ、古くから多くの信仰を集めてまいりました。
弘安2年(1279)と徳治3年(1308)の板碑が境内より出土していることから鎌倉時代中期の開創と推定され、文明年間(1469-1487)の高野山の明辨上人の開基に因んで現寺号等を号し、寛永年間(1624-1644)の住職・辨秀上人をもって中興第一世と称されました。
元亀年間(1570-0573)には小田原・北条氏より寺領五石、不動尊へ三石の免田を寄進されておりましたが、慶長末年(1615頃)の黒印等重宝の盗難、また延享3年(1746)の火災により諸堂、記録類のすべてが焼失し、その復興後も関東大震災で倒壊、更に昭和20年(1945)3月に再建された本堂をはじめ諸堂宇も同年4月の川崎大空襲によりすべての宝物とともに灰燼に帰しました。
現在の本堂はじめ諸堂は中興第二十三世隆性和尚の代に十方檀信徒の浄財により昭和36年(1961)に再建されました。
歴代住職は新田神社の別当を務めており、また古くから寺子屋を営み、信仰の道場と共に教育の道場として地域の拠り所として「渡田不動尊」と親しまれ、現在に至っております。
【霊場・札所】
・玉川八十八ヶ所霊場 第4番札所 ・武相二十八不動尊霊場 第27番札所
・東国八十八ヶ所霊場 第4番札所 ・東海三十三観音霊場 第5番札所
【行事・事業・活動】
・不動祭(1月、5月、9月28日) ・春秋彼岸会法要 ・花まつり(4月8日)
・大施餓鬼会(7月1日) ・お盆総供養会(7月13日~16日) ・写経会(毎月10日)
【施設】
・成就院会館

真言宗智山派
〒210-0846 川崎市川崎区小田1-25-12
TEL:044-333-4476 FAX:044-366-6972
【寺院由来】
金澤山福泉寺圓能院(きんたくさん ふくせんじ えんのういん)は、真言宗智山派に属します。「新篇武蔵風土記稿」によれば圓能院と日枝神社は村上天皇の御代(天暦弐年《948》)の開創とあります。
『圓能院山王権現縁起』
武州橘樹郡河崎之領小田村氏者、惣廟山王権現、
天暦貳戊申三月申日、京都従比叡山遷、村上天皇之御代ニ奉守護、
本地阿弥陀如来、山者金沢、寺謂福泉、院号圓能、本尊大日如来也
寛永年間から寛文年間(1624~1673年)にかけて辨秀・辨正・辨祐・辨誉法印らが大いに法灯を輝かしました。
関東大震災(大正12年)と、戦災(昭和20年)によって山門以外の堂宇は鳥有に帰しました。第二十世隆恩僧正の復興によって、本堂・客殿・庫裡を新たに建立し、山門を修復しました。
さらに、二十一世隆賢代に皆様のご協力を得て、本堂・大師堂・延命地蔵尊像・水子地蔵尊像・不動堂・観音堂を造建しました。

遍照寺
(へんじょうじ)
〒210-0806 川崎市川崎区中島2-12-10
TEL:044-244-0661 FAX:044-244-0477
【寺院由来】
光明山遍照寺は江戸時代初期の開山とされ、徳川家康の側近で寛永寺を創建した天海大僧正の弟子である高海が開基とされます。
太平洋戦争時、空襲によって境内のほとんどの建造物が焼失したものの、本尊(阿弥陀如来立像)のみは戦火を避けるため、当時の住職が布にくるんで境内の井戸に沈めたおかげで焼失を免れた。
本尊の胎内には、由来を記した古文書が納められていたと伝えられるが、井戸に沈めた際に固着したため、造立の年代は不明となっている。
【霊場・札所】
・東海三十三観音霊場 第3番札所
【行事・事業・活動】
・お経の読誦(どくじゅ)会(月1回)
・・・読誦会による比叡山参拝
・花まつり(4月初旬)

観音寺
(かんのんじ)
〒210-0851 川崎市川崎区浜町1-18-3
TEL:044-322-3144 FAX:044-333-3115
メール:super-cannon310@train.ocn.ne.jp
【寺院由来】
漁業の盛んだった地域での起点となったお地蔵さまが由来。
【行事・事業・活動】
・観音講(毎月18日)※コロナ禍により休止中
【施設】
・観音会館 大悲閣